■ できる角度を見つめよう
今回は「角度のこと」。
2022年最後の更新です。
例年、最後はえとがテーマです。タイトルは今年のえと、イラストは来年のえと。
なので、今年は「寅(とら)」 …… からの「トラ」イアングル。3つの角度、ということで、何が浮かぶでしょうか?
公園、学校、ブログ。
自分のなわとびは、この3か所で回っています。
それぞれ、10年近くいろんなほうを向いて回してきました。今年一番変化があったのは、公園だと思います。僕の練習時間のほとんどと言っていい場所。でも、これまでほど跳べていません。
明らかに体が動かなくなってきました。人が石化していく動物なら、関節付近が固まりはじめているかのよう。交差すら、肩と手首が動くのを忘れているかのように引きつりを感じます。
何より、何度も痛めた腰が思ったように曲がらないし伸びない。この半年くらい、ほとんどCLやASの入った多回旋を跳んでいません。トード系すら減って、最近のメインは連続3重あやの挑戦。角度がつくどころか、まっすぐに戻りつつあります……。
いつかこういう日が来るとは思っていました。
ブログでも、終わりを意識した言葉や、死をモチーフにした題材で書く回が生まれました。去年からエッセイ風の話を増やしてますが、それは跳ばなくても書ける話が増えたとも言えます。わずかに漂う弱まりのにおいに、予感するものがあったのかもしれません。
そんなこともあってか、今年読んだマンガで、印象に残ったせりふがあります。
「その中身の姿を見て 君は即座に理解した筈(はず)だ
この子達はもう 助からないってね
一体ここから 何を救おうというのだ
何が君をそこまで動かすのだ
そうだよ
残り後ほんの少しの生のために
君は今こうして完全に命を投げ出してる
情と呼ぶには あまりにも釣り合いが取れてない」
―― 内藤泰弘『血界戦線 Back 2 Back』 ―災蠱競売篇― Chapter11(集英社)
異形に変えられた子どもたちを守るために悪党たちのお尋ね者になって、ボロボロになりながら逃げつづけた少年。逃げ道を失った少年の盾になって、ボロボロになりながら守りつづけた主人公。その姿に、不死身の追っ手が朗読するようにかけた言葉。
凄惨な場面を引きあいに出してますが、これをなわとびにこだわる自分の姿に置きかえると、心にくるものがあります。――いや、そう思ったからこそ、引用しました。
あまり上達しないまま、延々と公園で練習する姿。体も動かなくなってきているのに、何が自分をそこまで動かしているのか。
大きな目標がないから続けられるのだと思います。
どこかで舞台に立つとか、なわとびの世界に寄与するとか、そういう目標は跳びつづけるうちにすこしずつはがれ落ちていきました。SNSでだれかが取りあげてくださったり、懇談会で保護者からお礼の言葉が届いたり、たまにいいこともありますが、それは結果です。必ずしもめざしたものではありません。(もちろん、うれしいですけど)
固い体といっしょで、進んでいる角度はそんなに大きくありません。でも、ゆるやかな角度だから進んでいける。公園で跳ぶ姿は、同じことの繰り返しどころか、すこし衰(おとろ)えすら見えているでしょう。それでも、いろんな人の動画を見ていると、そのたびに跳びたくなる。すこしだけ、顔が上がる。そのとき跳びたい技や動きを見つめて、自分の視線は上を向くのだと思います。
それは、小さな挑戦の角度でしょう。「Try Angle」。固い体でも、上に下に、縄は角度をもって動かさなければ回りません。
年締めの自分語りはここまでにして――。
今度はうさぎ年。ダブルダッチで、「ラビット」という技を見たことがあります。ジャンパー(跳ぶ人)が、縄の中で逆立ち状態になって手で跳ぶパワー系の技。はたして、えとたちにこの技ができるのか?
これも角度への挑戦ですね。
今年も1年読んでくださりありがとうございました。
次回は5日後、また正月更新です。