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とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

098 8の外から

学校のこと

今回も「8の字のこと」。

8の字で1年前に感じたこと、その2。


8の字に限った話ではないのですが、担任の熱意が問題になることがあります。

最後の8の字大会は、同時にクラスマッチです。1回でも多く跳ぼうと、担任の先生たちはあれこれ考えます。技術的な面も考えますが、どれだけ練習するかが重要視されます。

ここで問題になるのが、「いつ練習するか」。放課などにクラスで集まって練習していると、熱心だと思われます。これはいい意味での熱心。遊べる時間をつぶしてでも練習してるんですから、なかなかのものです。

ところが、まわりが「おや?」と思う時間に練習しているクラスが出てきます。それは授業中。

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職員室にいるとよくみる光景。空き時間のライバルの監視(笑)。長縄=学級活動という一面があるので、これは「セーフ」らしいですね。当然、体育の時間に練習していても普通の話。

でも、それを1時間ずっとやっていると、「(いくら上手になりたいからって)やりすぎじゃないの」という声があがります。上のイラストみたいな会話が出るのは、たとえば「算数の時間をつぶして練習してるんじゃないか」と疑っているからです(笑)。

そういう先生は、この学校に限らず、どこでもだいたい2~3人いて、それとなく本人に言う先生もいます。でも、本人は「がんばらせたいから」と言って、すぐに引き下がるわけではありません。

一部の先生が納得できない顔で、あきらめムードになっているのを何度か見ました。

お互い、言っていることは間違ってません。でも、なぜかすれ違う。


意見がすれ違うときは、お互いの基準がそもそも違っていることが大半です。

どの先生も、子どもにがんばらせることには賛成しているのだと思います。ただ、子どもの達成感のために無制限に時間をかけていいのか? それを「あり」と思うか「なし」と思うか。ここで基準がズレているように見えます。

どっちが多いと思います? 僕の見る限り、大半の先生は「なし」側ですね。時間にメリハリをつける先生を始め、練習させたいけどやりすぎるのはまずいかなあと思って控えめにしている先生など、だいたいの先生は「なし」側です。

それだけ多いのに、「あり」側の先生が変わらず目立つのは、全体の場(打合せなど)で直接言われないからだと思います。「なし」側の人も、言って「あり」側の先生と正面から対立したくないので言いません。その代わり、人の少ないときにはため息まじりに「あれってありなの?」とこぼします。

僕は職員室にいる時間が一番多いので、そういう姿をよく見ます。いろんな先生がそういう姿を見せます。だから、大半の先生は「なし」側だとわかるんです。

「あり」側の先生にも、言い分はあると思います。何か正当な理由があるのかもしれません。でも、まわりはそうは見ていない。正当・不当の問題ではなく、そう見られていること、そう見られてしまう状況を作ってしまうことが一番の問題という気がします。

思いが強いと、まわりがどう見ているか気が回らないものですね。
気づいていても、思いが強くて気を回さないのかもしれませんが……。


なわとびでも同じです。

自分では跳べているつもりでも、まわりから見れば無理のあるフォームだったり。
難しい技でもうまく見せられないと、見る側は何をやっているのかわからなかったり。

公園で跳ぶ、というのもどうなんでしょうね……。

いや、自分の話なんですが、大人としてはマイナーなスポーツなうえに、1人で跳んでいるので人目が気になります。先日こうじさんとお話ししたときも、やっぱり同じことをおっしゃってました。

それでも適当な場所がないので、ずっと公園で跳んできました。気にはしつつも、そこで引かないところは、僕も、思いの強い先生と変わりないのかもしれません。

そんな自分ですが、最近、初めて施設を借りてみました。

8の字からうまく話がつながったのか無理やりなのか(笑)。
次回は、小さな一室の話です。