今回も「習得のこと」。
教えてもらう「習う」とマネする「倣う」の話・その2です。
前回は、教えてくれる人はまだ少ないのでマネ(=倣う)から始まることが多く、そこで行きづまるとアドバイス(=習う)が必要になる ―― というような話でした。
習うにしても倣うにしても
どこを「ならう」のか自分でポイントを押さえられるかどうか……。
よく実感するのが、アドバイスを自分に合わせて理解できないことです。感覚をつかめていないとか、体のクセ的にきついとか、相手には見えていないものがあるからです。
でも、教えてくれる人がタイミングとか体のクセとかすべてを読み取れるわけがありません。よほど奇抜なアドバイスでもないかぎり、自分に足りない、貴重なヒントなはずです。それを含めて、どうヒントとしていかすのかは、自分の力量しだいです。
僕はEBやTSの背中の手が高いので、「腰くらいまで低く」と教えてもらうことが何度かありました。実践すると体がきついです(笑)。そこからどうするのかを考えるのが自分。きつくない体勢があるのかどうか? きついならムリをしないほうがいいのか? アドバイスをとっかかりにして、どこにつなげるかは、やっぱり自分しだいですね。
最近、TS/TS2重(クロスクロスでの2重)が初めてできました。グリップを下に向けたり、かがんで縄を通しやすくしたり試している中で、いけるかと思ったらできたという、練習前にあまり考えていなかった結果でした(笑)。これも元は、背中の手を低く、という昔のアドバイスを思い出したのがとっかかりだったと思います。
習うも倣うである
上の話と重なりますが、最後は自分が主役です。
習う=教えてもらったことを、マネする=倣うのです。ぱっと見、受け身に見えますが、教えてくれる人は常にそばにいてくれるわけではありません。たいていは「持ち帰り」です。
そこからは自分で動くこと。自分ができる形にアレンジして身につけていく「倣う」はすごく自発的に見えないでしょうか?
前回の最初に出した「習うより慣れよ」は、結局自分で覚えましょうという話ですしね。
結果につながるかは別として、期待は生まれる、と思います。
それっぽいことを書きましたが、これまでを思い返しての雑感でした。
オチだけ軽くてすみません(笑)。