今回は「過去と未来のこと」。
子どもは未来を見たがり、大人は過去に戻りたがる。
「もしタイムマシンを1回だけ使えたら?」と聞かれたとき、答えはこういう傾向になりやすいそうです。
納得といえば納得ですね。子どもは過去より未来のほうがはるかに気になって、大人は取り戻したい過去をいくつも置いてきている。たぶんこういうことだと思います。
もちろん子どもだって、やり直したい過去を持っていますが、長く生きたぶん、大人のほうが過去への思いが強くなるのでしょう。
なわとび限定で、タイムマシンを1回だけ使えたら?
これを読んでくださっている人の多くは、きっとなわとびに関わるのある人。こう聞かれたらどう答えますか?
調査したいわけではないので、自分なら、という話だけ書きます。
将来、どんなフリースタイルが跳ばれているか見たいです。
トップクラスの演技の変化、レベル7ができているのか、競技と演技で分かれてるのか、そして、まだ見たこともない新技が生まれているのか……。
興味がそのまま、という感じです。
最初の話で行けば、僕は十分大人の側ですし、なわとびで失敗した過去もいくつもあります。人前の演技なんて失敗ばかりでした。
でも、それを取り戻したいとは思いません。失敗は失敗。タイムマシンで過去の自分が成功したとしても、作られた成功で終わって満足できないと思います。
これは「今の自分が過去の自分になって行動できる」話ですが、『ドラえもん』のタイムマシンのように、過去の自分に会う話になると、今の自分がつかんだコツを教えても、過去の自分が習得できなければそれまでですしね(笑)。
最初に書かなかったことがあります。
大人と未来の関係。
子どものように未来を選ばないのは、現在の自分の姿から、おおよそ未来が見えているからだと思います。現在を作っているのが過去。過去を変えなければ未来も変わらない。だから未来よりも過去なのです。
実際は、想像できる未来で妥協するか、今から未来を作るしかありません。
『ドラえもん』の未来の世界では、現在や未来に影響を与えるような過去を改変することは禁止されていました。だから「タイムパトロール」という時空専門の警察(?)がいて、映画のように、恐竜の密猟とか新しい王の誕生を防いでいたのでしょう。
「小さかったころのぼく」をなわとび名人にしようとして、うまくいかなかった話……があるとしたら、最後のコマはこんなかもしれません。