とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

444 支・肢・枝

今回は「支えのこと」。

4並びに合わせて、3つの「シ」をタイトルに並べてみました。

見てのとおり、「支える」の字が入った言葉です。427 でジャンプリリースの話を書いたときに特に強く思った、縄を回すとき足が支えているという発見・感触は、あれからもずっと感じています。


縄を回すと、いくらか体のバランスに影響が出ます。

たいていは崩れるほうの影響。多回旋のようにたくさん、強く回そうとすれば、さらに影響は大きくなります。その影響を抑えているのは、足が支えてくれるおかげじゃないかと、最近はずっと感じていました。

ですが、それも回しはじめまで。空中に跳んでしまったら、足の支えはなくなります。これがあるので、サイドスイングで、「足が支えていれば回しやすい反面、実際は跳ばずに体が残っている」状態が起こります。

足には、支える役割と、跳ぶ役割があって、サイドスイングで体が残る場合、かみあってないわけです。


四肢錯乱とでも言えばいいのでしょうか。

「肢」という字は四肢という言葉のとおり、手と足を示しています。ただ、語源としては、「月(にくづき)=体」から「分かれる枝」を意味しているらしいです。こんな話を思いついたせいで、体を「支」えるかと思ったんですが、どうやら支柱の「支」じゃなくて、支流の「支」として使われているようです。

あえて「体を支える」部位として考えると、普段は足、逆立ちすれば手、四つんばいになれば手足。これもこれでそれっぽいかと……。

ですが、なわとびだと、空中に跳んだ瞬間、支えるはずの手足が技のために動く部位になってしまうのです。普通の短縄なら、まだ手だけですが、単縄の技になってくると、トードやクルーガーで足が上がり、あまつさえ、ASやCLでは体まで折りたたまれるという……。

片足立ちにしても、大きなジャンプにしても、どこかで手足でバランスを取っているからこそ、その状態を保てます。なわとび ―― 特に単縄では、そこにある意味致命的な課題と、解決できるからこそうまい人はうまいという現実が生まれるのでしょう。


もう1文字、「枝」。

これは「木」を「支」えると考えるとちょっとおかしいですね。それなら「幹」です。これも「支」の意味合いは「分かれる」で、まさに枝分かれです。

人の体にしてみれば、枝=手足。やっぱり支えてはくれません。まあ、「根」ならともかく、「枝」が支えるってどういう状況かという話ですが……。

ただ、足の支えは、跳んですべてを失うものではないと思います。

跳ばずに回し方を練習すると、わかってきます。たとえば、サイドスイングから次のフォームにできるだけ速く回そうとするとき。たとえば、なるべく体の中央に縄が回ってきているか確かめたいとき。足が支えてくれるおかげで、跳ばなくても感覚が身についてきます。

こうして足の支えを受けながら体が習得した感覚を持ったまま跳びます。できなかったときより悪くなることは、あまりないと思います。

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あとは、その感覚を保ったまま、もうすこし高く跳べるか。「支えのなくなったジャンプ」に、「支えがあったときの感覚」を混ぜ込むのです。

そして完成形は、いつもそれを実践できるか、でしょう。