とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

520 ジキル、ハイド、ロープ

今回は「感覚のこと」。

すこしネタ寄りの話ですが――。

今年はこれまで、いろんな感覚を身につけることができました。体を高く持ち上げる感覚、体を支える感覚、グリップを回す感覚……。自分がずっとつかみそこねてきたパーツを、やっとこの手につかんで、すこしずつ体にはめていったような感じでした。

そういう「絵」にするとちょっとドラマチックですが、実際は、「自分の中にあったのに気づかなかったもの」なのでしょう。


昔、自在に跳んでいる人たちを見て思ったことがあります。

自分があの体だったら、あんなふうに気持ちよく跳べるんだろうか――。

練習を続けても、身につかないことの多い時期でした。リリースもまともに手に戻せず過ごした数年。自分に足りないのはなんなのか、ずっと悩みさまよっていました。そんな中で、あるとき思い浮かんだのが上手な人の疑似体験です。

ゲームやSFのこじらせみたいな空想でしたが、夢の中で長時間空中にいられるような(=好きに何重とびもできるような)イメージに、すこしだけ心が浮き立った覚えがあります。

でも、それは一瞬の自己投影。どれだけ技術力の高い体になっても、「自分」がその技術・体の動かし方を理解していなければ、縄は回せないし、跳ぶタイミングだってつかめないだろうと思いました。


その理解につながっているものこそ、感覚です。

感覚がわかっていなければ、どんな体でもうまくいくはずがありません。逆に、あのころうまくいかなかった僕の体は、感覚に気づいたことで、同じ体でもだいぶいい動きをしています。まさに、「自分の中にあったのに気づかなかったもの」でしょう。

ここで思い出すのが、『ドラゴンボール』のギニュー戦。

相手を攻撃する必殺技が多い中で、「ボディチェンジ」を使ってくる珍しい敵でした。主人公の悟空の体を奪って逆転をねらったギニューは、得意げに悟空の体でフルパワーを出そうとします。……が、まるで力が高まりません。

ドラゴンボール』は「気」を使えるかどうかで、戦闘力(いわゆるパワー)が大きく増減しました。それも含めて、たとえ体を奪ったとしても、奪った肉体や気の使い方がわからなければ、力など出せなかったのです。

きっと、仮に「すごい単縄選手の体」になれたとしても、技のコツがわかっていなければ、ギニューと同じように実力を出し切れない結末が待っています。


じゃあ、同じ体で人格が変わったらどうか?

つまり、「コツがわからない自分」と「わかっている自分」。それこそ、時間を超えて今の自分が過去の自分とボディチェンジすれば、過去の自分にリリースや4重とびを成功させてあげられるでしょう。

でも、その感覚を、過去の自分に伝えてあげられなければ意味がありません。空想に空想を重ねるような話ですが、もし精神体だけでも「できる体」におじゃますることができるなら、それこそ感覚を体感できる夢の状態なんだろうなと思います。

f:id:tobimaru-jdr:20201127232255j:plain

素(す)の人格で(?)いろいろ跳べるようになった今の自分は、昔の自分から見れば、きっと幸せ者なのだと思います。