とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

111 ダッチとぼっち

今回は「合わせる力のこと」。

前回、曲のテンポに合わせることについて書きました。

今まで使った曲で試してみましたが、全然だめですね……。メロディや縄の音ばかり気になって、基本のカウントが刻めません。まだ、動画のようにすこし強引に合わせているほうがきれいに見えます。

簡単な跳び方だけで曲に合わせるとか、もうすこしやりやすい練習をしてみます(笑)。

さて、この音合わせで思い出したのがダブルダッチ。そこからいろいろ考えていたら、こんなことを思いました。

「ダッチのできる人は単縄もできるけど、単縄のできる人がダッチもできるとは限らない」。


ダブルダッチは、合わせる力が問われるスポーツだと思います。ジャンパー(跳ぶ人)とターナー(回す人)の2つの役割がかみ合わなければ、形になりません。

昨年、お誘いがあって名古屋に行ったとき、初めてダブルダッチを体験しました。かけ足ステップくらいまでできましたが、人に合わせるって難しいと、実感しました。

跳ぶのも回すのも自分でやる単縄と違って、ダブルダッチは一定のテンポを共有して跳びます。よく音楽を流しているのも、その曲のテンポをジャンパーとターナーで共通の基準にするためみたいです。

つまり、まずは曲のテンポに合わせるのが先なんですね。テンポさえ合えば、ひとまずターナーもテンポ(とテンポに合わせているジャンパー)を信じて回せるわけです。そこから先の一体感は、僕にはまだよくわかりませんが、まずはテンポが大切になります。

これって、「ダブルダッチのできる人は、テンポに合わせるのも上手な人」と言えるんじゃないでしょうか。


それでは、単縄のできる人は?

単縄のできる人、と言っても、具体的にどういう腕前なのかは、人それぞれイメージが違うでしょう。ただ、2重跳びやはやぶさを安定して跳べるなら、それなりに単縄のできる人と言えそうです。

でも、そういう人がみんなテンポに合わせられるでしょうか。

単縄は、自分のリズムで跳んでいます。テンポについてはかなり自由です。自分で決められますからね。その状況でなら、できる人はみんな跳べるわけです。でも、テンポを他人から指定されたとき、その均衡は崩れます。単縄のできる人の中でも、できる人、できない人がはっきり分かれます。

このへん、わりと普段の姿が出ると思います。人に合わせるのが得意な人と、苦手な人。会話だけでなく、雰囲気まで含めたコミュニケーションをとれる人と、なかなかとれない人。この差です。

僕は、残念ながらできない側ですね。子どものころから、会話のリズムに乗れなかったり、気づくと自分の考えが先走った行動をしていたり……。そんなふうなので、人に合わせるのは苦手です。どうすれば人に合わせられるのか、30代の今でもぴんときません……。

こう考えてみると、単縄ができる人でも、自分以外に合わせるのが苦手な人は、ダブルダッチはなかなか難しいと思います。ダッチのできる人の手助けがないと、自分だけで合わせるのは苦しいでしょう。実際、初体験したときも、助けられてやっとでした。感覚は持っていても、それを自分だけで引き出せるかどうかは別なのです。

でも、ダブルダッチのできる人は、合わせることもできるし、単縄だって、そのリズム感があれば、それなりに跳べるようになるまで、時間はかからないでしょう。ダブルダッチメインで単縄を跳ぶ機会・経験が少ないだけで、ポテンシャルという意味では十分跳べる人のはずです。

一方で、単縄のできる人は、全員が人に合わせるポテンシャルを持っているとは思えません。こちらは、人に合わせられなくても自分で完結させられる運動だからです。

こんな流れで、「ダッチのできる人は単縄もできるけど、単縄のできる人がダッチもできるとは限らない」と思ったのでした。


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単純な図ですが、それぞれの領域にいるのがどんなタイプの人か、さらに腕前を加えたらどんな形の図になるか、など考えてみると、縄に挑戦する人にもさまざまな人がいることがわかりますね。

単縄の円で、ダブルダッチの円からははずれている人は、6%くらいかなと思います。適当な数字ではなく、一応理由はあります。

発達障害を持った人の割合でよく言われるパーセンテージ。それが6%です。

僕もたぶん、ここに近い位置にいますね。なぜここで発達障害という言葉を出したかというと、なわとびにおいても、発達障害をキーワードにすると説明しやすいことがいろいろあるからです。次回は、そのへんをテーマに書きたいと思います。