とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

717 ミクロの決死圏

■ 緊張を超えなければ成功は

今回は「緊張のこと」。

サーカスが苦手です。

綱渡りが怖いから、と言うとそれらしく聞こえるでしょうか。ショーとしての綱渡りにかぎらず、空中ブランコにしても、火の輪くぐりにしても、うまくいくかどうか「綱渡り」に見える緊張感に、あまり耐えられないのです。

そこが見どころだから楽しめる人から見たら、弱い話かもしれません。息を呑(の)む時間のあとで見事に成功しても、どこか苦しさが残るんですよね。たぶん、緊張して見ていたときのストレスのほうが大きいからなんだと思います。


新聞の経済欄でこんな談話がありました。

「例えば、バンテリンドームナゴヤのグラウンドに髪の毛ほどの段差があったら駄目というレベル」

  ―― 中日新聞 2023.8.2 「激流・中部の半導体」(2)開発競争


仕上げの研磨材で世界シェア8割を誇るという企業が求められている精度だそうです。大げさに盛った話に聞こえてしまいそうなほど、凄(すご)みがありますね。

これもたぶん、現場で直面したら、ミクロレベルを追求する緊張感に耐えられない気がします。ドキュメンタリーのように苦難を乗りこえた結果を語る記事だから安心して読めるだけで、これまでも、これからも、開発競争を泳ぎぬく姿は、とてもマネできるものではありません。

そんな緊張感や精度が苦手と言いつつ、似たものを求められるなわとびを続けてきました。


多くの技術は、緊張を超えなければ成功はありません。

なわとびもいっしょです。縄が足の下さえ通過すれば成功な運動でも、跳ぼうとする技、跳ぼうとする場所で、いくらでも条件は変わってきます。複雑な技ほど、精度が求められて適当に回すだけでは跳べない。

それをどこまで追求するのか。

僕の場合、そこまで根を詰めて追求しなかったから続けられた気がします。もしこれが部活だったら、目標につぶれてやめていたかもしれません。できる範囲で、糸口を見つけてすこしずつ扉を開けていく。緊張して失敗しても、取り返しのつくところで跳びつづける。

ブログのように、ああかな、こうかな、と考える時間を寄り道にしているから、気持ちが追われずにすんでいる部分もありますね、

求められた精度のためにどこまでがんばれるのか、というより、どうやってがんばるのかになっていると思います。熱量より、方法の問題。ただの交差で縄がズレて引っかかるような精度でも、あきらめずに踏みとどまれる気持ちは、こんなところにあるのでしょう。


昔(今も?)『SASUKE』という特別番組がありました。

「鋼鉄の魔城」と呼ばれる高難易度のアスレチックに挑戦する人たちの姿が熱い番組でした。でも、だんだん、制覇に人生を賭(か)ける人たちが崩れ落ちる姿を、見ていられなくなったのを覚えています。完全制覇者が出たときだけ見るのも虫がよすぎると思って、いつしか忘れていった番組です。

なわとびのフリースタイルも同じでした。だんだん技が複雑化してきて、よくこんな技を通せるな、と目をみはる一方で、やっぱりミスも目立つ。

ミスって、まず「起こってほしくない」という緊張があって、一度ミスると今度は「重ねたくない」というさらに大きな緊張が待っています。それがわかるから、動画でもミスを見たくないと緊張している自分がいます。

そういう覚悟にふんばるのも、好きに付きあっていくために必要なことなのでしょうね。

イラスト:小さく欠けて縁どられた「ミクロの」「決死圏」の文字が左上と右下に。左下に頭の後ろでリリースキャッチをしようとする男の子。右上にTJの交差を開く瞬間の女の子。背景に何本も縄が走り、そのいくつかは、男の子や女の子をかすめている。

精度を求める気持ちはミクロ