とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

722 縮まる競技、広がるパフォーマンス

■ 競技とパフォーマンスの違いは何か?

今回は「競技のこと」。

世界大会があったんですね。

そういえば、夏の開催でした。年末の全日本大会もですが、この数年すっかり存在を忘れていて、おすすめ動画に出てきたところで初めて気づくのが続いてます。なわとびは練習もブログも年中続けているくせに、イベントにはさっぱり目が向いてない……。ひとまず3、4個フリースタイルを見ました。


「大技発表会」が強くなった印象でした。

ルールの影響なんでしょうか。去年あたりに読んだときは、高難易度(レベル)の技ほど得点が大きくなる傾向が強くなってました。それで、最高に近いレベル7や8の技をどれだけ成功させられるかの勝負にならざるをえないのかな、と思った覚えがあります。

そのレベルになると、最高クラスの選手でも余裕で連発する(そういう構成にする)のは難しいんでしょうね。1技1技をしっかり見せていくスタイルが、大技発表風に見えたのもムリはありません。


演技を数個見て、これ以上はいい、と思って動画を閉じました。

高レベルの技は、見ていて心が縮むのです。よくあれだけの速さと苦しい姿勢で縄が通るなと目をみはりながら、たまに体勢が崩れたり、明らかにミスだとわかるシーンを見ると、体の中だけ一瞬寒風が通りすぎたように心が縮んで、ああ、自分は張りつめていたんだ、と気づくのです。

このまえ、この話でふれました。


昔感じていた、「すごい、すごい」と思わず笑いが出てしまうような高揚感よりも、今の競技は、緊張感のほうが上回ったのでしょうね。


 ―― 競技とパフォーマンスの違いは何か?

似た問いかけを何度か見ました。簡潔だからこそ、自信を持った言葉で返せない質問だったと思います。

今のイメージで答えると、「縮まるか広がるか」です。

技のレベルを上げるには、回す手が背中や脚の下で制限された技を、いかにたくさん入れるかにかかっています。レベル7や8の技になると、4重とびや5重とびの中で2回も両手制限技を入れている。

上で心が縮むと書きましたが、そういう技は否応(いやおう)なしに体も縮みます。なので、今の競技は、見た目を含めた縮まったイメージが強いですね。パフォーマンスも身を縮めた技や緊張が走る動きはありますが、人に見せるために自分の気持ちでそれをやっているのがわかるせいか、むしろ見た目が広がって飛んでくるイメージがあります。

上の質問を見たころに浮かんだのは、「ルールに縛られているかどうか」でした。ルールでやらざるをえないのか、やりたいからやるのか ―― その違いも、縮まるか、広がるか、の輪郭を作っているように思えます。昔より今の技にそういう傾向があるのでしょう。


あんまり昔昔言うのも、個人の物差しで比べるようで苦手に聞こえる人もいると思いますが、本音だからこそ書きたいと思った感想でした。

イラスト:高難易度の技を跳ぶ姿を2つ。プッシュアップからの後ろCLと、インバースKNTJに入るところ。左上と右下からしま模様が迫ってくる構図。中央で火花が散っている。

緊張と勝負の瞬間

僕の中には緊張感からの苦手意識がありますが、競技に挑む姿もまた立派なパフォーマンスだと思います。ルールの中であろうと、自分の意志で選んで、人に見せるために跳ぶ技。

その気持ちは、競技もパフォーマンスも変わらないのでしょうね。