とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

476 子どもとコロナと公園と

今回は「コロナウィルスのこと」。

こんなときに公園でなわとびして大丈夫だろうか?

外出自粛なんて言われると、公園でなわとびをしている自分としては、不安になりました。

安心できる情報もあります。適度な運動は必要で、防災メールでもなわとびは例に載ってました。今こそなわとび! といろんな人がSNSなどで書かれているのも見ました。1人で跳んでいるので他者との接触はほぼなし。――しかし、それでも、外出ではあるのです。


結局、自分が気にしているのは「他人の目」です。

SNSでなわとびを応援しているメッセージを見つけた一方で、近所の公園が遠出できない子ども連れでかえって人が集まって危ないとか、「不要不急」は遠出しなければいいわけではないとか、けっこう心に刺さってくるメッセージが次々と見つかりました。

いろんなところで言われてますが、今の状況は「正しさ」を求めてもはっきりしません。それだけに、公園で1人でなわとびなら「3密」じゃないからいいのでは、と思う一方で、そうは思わない人の目にとまったら大丈夫かとか、自分の考えが甘いだけで見落としがあるんじゃないかとか、不安になりました。

なにぶん、公園で大人が1人で単縄してるのは目立ちます。自分の技術だと、3重系以上になると、縄の音もそれなりに出ます。目立たないわけがありません。

公園にいる人たちを批判する人には、「自分は我慢しているのに……」という気持ちが多かれ少なかれあると思います。公園のなわとびは、その我慢をうまくクリアできる手段ではないかと思うのですが、「我慢している自分 vs 好きなことをしている人」みたいな図式に持ち込まれたら、コロナ対策に感情論が混じって、立ち位置がずれてくるでしょう。

緊急事態宣言だと、どこまで「あり」なのか自信はないのですが……。


おまえは誰と戦っているんだ的な部分もありつつ、そこに不安に感じました。

今回のタイトルは、もともとコロナが騒がれる前から、「子どもと孤独と公園と」でいずれ書くつもりでメモだけしていました。それを、今に合わせてアレンジしたものです。

共通項は「他人の目」。公園で人目を集めるプレッシャーを感じつつ、屋内で跳べるところがほとんどなかったこともあって、公園で1人で跳んできた自分と、子どもの話です。

ずっと跳んでる公園は、近年、大きなマンションが近くに建ったこともあって、子どもが増えた印象があります。冬は、僕がなわとびを始めると、いつのまにか子どもが別の場所でなわとびを始めることがしょっちゅうでした。

僕の単縄を見てのことだったらうれしい。

孤独に跳んでいる身としては、子どもがなわとびするきっかけになっていたらいいな、くらいの気持ちでも、公園の片隅で助けられてます …… というような話にする予定でした。

あれから、コロナで状況が変わっても、僕がなわとびを始めると、やっぱりなわとびする子が何人かいました。軽い運動でなわとびが推奨されているので、もう自分の影響とか言いきれないんですが、それでもどこかほっとする部分がありました。


それでも、この状況下で公園でなわとびすることへの不安がなくなるわけではありません。

最近では、京都大の山中教授がご自分でもマラソンすることもあって、運動時に口をおおうのを推奨していました。もし自分が保菌者なら、運動による荒い息づかいでウィルスをまく危険もあるから …… のようです。

そこまでして公園でなわとびする自分。想像すると、やはり他人の目が……。

よほどダメと言われないかぎり、なわとびにはまだ場があるとは思います。あとは、自分の気の持ちようですね。

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コロナに関係ない公園にしようと思いましたが、今はまず、関係記事の画像から1枚。気兼ねなく跳べる日のために、できることを考えつつ……。