とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

632 続・つばめのうた

今回は「巣立ちのこと」。

小さなつばめが飛んでる……。

いずれ書こうと思っていた話、時期に合わせてこのへんで書いておきます。

 ハートキャッチプリキュア!』を見ていたとき、主人公のつぼみが、つばめの親子を見て泣き崩れたシーンを見て書いた話でした。ただ、「中学生になってもなわとびを続けていられるのか?」とつながっていく展開がすこし変化球な話だったと思います。


あのとき書いた話には、1つモチーフがありました。

つばめの巣立ちです。

『ハトプリ』のシーンだと、つばめは「親子」のモチーフでした。つぼみの取り残されたさびしさに、僕はどこかで子つばめが巣立つイメージを重ねて、そこから「なわとびからの巣立ち」に想像が移り変わっていったのでしょう。

大半の子が小学校でなわとびを「卒業」してしまう中で、まだ続けることへの心のゆらぎ。

わかるな 置いてかれてる感覚

いつのまにか「社会的価値」が存在することに気づいて
それを選べてない自分が不正解みたいで

  ―― 山口つばさ『ブルーピリオド』【45筆目】ずっと好きでいさせてください(講談社


月刊アフタヌーン』でこれを読んだのも、あのころだった記憶があります。別に道にそれたことをしてるわけじゃないし、後ろめたさだっていらない。でも、心がゆらいでしまうのは、自分だけ「違う」ことに自信を持てないからです。


最近ふと、大人っていいな …… と思いました。

なわとびするのに、そこまで抵抗がない。公園で1人で跳ぶことが気にならないわけじゃありません。でも、「大人がなわとびを選んだ」からこそ、胸を張って趣味と言える。跳んでる姿が、そのままメッセージとさえ言えるのです。

1周回って半分無敵。これは、子どものころにはなかった感覚ですね。地元の中学校って、卒業するまで学校も近所も知り合いに囲まれた場所です。開きなおれるだけの逃げ場がない。大人なら自分のありかたが定まってきて見える道筋も、子どもだとまだ見通せるだけの自信がない。

今はどうなのかな……。視線や不安を振りきれる子でなければ、中学生でなわとびって、環境を選ぶと思ってます。

逆に、ヒントはここにあって、不安なく跳べる「場所」が大切なのかな、と。

熱意とか自信のある子は、跳びたいところがそのまま「場所」でしょう。それが難しい子には、場所を作ってあげることが、跳びたい気持ちを守ることにもなります。他にも跳んでる人がいる場所とか、知り合いと顔を合わせにくい場所とか……。

なんだか、いじめられた側が転校すればいいみたいな発想に似たものを感じますが、そういう側面はあると思ってます。ただ、もっとすくいあげたいことは別にあります。なわとびを選んだ、本人の気持ちです。


続けることもまた、巣立ちなのです。

多くの子が縄をしまう中で、これからも跳びたいと決めたことで、その子は別の空に踏みだした。そうたとえることはできないでしょうか。

どうしても、「支え」とか「救い」に近い言葉に頼ってしまうのですが、周囲の差しのべる手とは別に、本人が伸ばそうとした手に光を当てるような言葉の1つが、「巣立ち」なのだと思います。