とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

789 五輪と理念と競技のレンズ

■ じゃあなわとびはどう映るのか?

今回は「競技のこと」。

パリオリンピック関係の記事で目にとまった話です。

 

一方、IOCが足を踏み入れる新領域について、静岡産業大の寒川恒夫特任教授(スポーツ人類学)は「楽しむことに重点を置いた、自己目的性の高いスポーツ」とし、五輪の理念とは対極にあるとみる。

  ―― 中日新聞 2024.7.28 「五輪離れ」募る危機感


スケートボードやブレイキン、eスポーツが例にあげられたあとのコメントでした。「スポーツを通じた心身の鍛錬と教育」からは離れた競技、という見かたもあるようです。

トヨタのような最高位スポンサーが手を引きはじめ、スポーツの世界の花形から薄れる傾向もあるオリンピック。そうまでして(主に若手を)呼びこまないと厳しい現状で、理念もまた変わるときが来ているのだろうか ―― といった記事でした。


スケートボードは金メダルもあって話題になってましたね。

「自己目的性の高いスポーツ」なのかもしれませんが、前回の東京五輪で注目されたせいか、国内の練習場の数がこの4年で倍増しているとか。それだけ、スポーツとしての魅力は広まったのでしょう。

ただ、その宣伝効果と理念にズレがあるとも言えます。

スケートボードの世界にとっては大きな前進。そうでありながら、「自分の競技のため」になることが、コメントで言う「自己目的性」の高さにも受けとられてしまう。ある角度から見たときには、その競技自体のエゴが映って見えるのでしょう。

選手に鍛錬がないはずはないし、その道の頂点をめざす姿勢がまやかしなわけでもありません。なのにそういう側面があるのは、パフォーマンス性が強いからだと思います。

体操だって見せる競技です。違いはストイックさ? 「楽しむことに重点を置いた」という前置きに、スケートボードその他はスポーツとしての性質が違うという、差別と言わないまでも区別レベルの視線を感じます。

そうした「印象」がまた残っている段階で、オリンピックの競技として舞台に引きあげてしまったところに、危うさに目をつけられるような話も生まれるのでしょう。


なわとびもすこし重なるものがあります。

前回ふれたスピード種目は、陸上なら短距離やマラソンに近くて、必要な条件かどうかは別としてストイックな競技とも言えます。フリースタイルだって、張りつめた糸をくぐるような技術で20も30も技を成功させる険しい演技です。

その一方に、「速すぎてわからない」「同じ動作の繰り返し」「制限姿勢ばかり目につく」といった印象もあります。競技に好きな人なら目を離してはいられない勝負も、一定数の人には置き去り感を生む光景になってしまうのです。フリースタイルも、あまり演出(プレゼンテーション)を強めた内容だと、盛りあがりを楽しむことが理念のように思われかねません。

なわとびがどれくらいオリンピックをめざしているのかはわかりません。

結果として競技の普及になるのが目的でも、立派な姿勢だと思います。オリンピックの理念とは別問題と見るのがいいのでしょうし、理念が形を変えて歩み寄ってくる未来もありうるでしょう。


 ―― 楽しむことに重点を置いた、自己目的性の高いスポーツ

なわとびって、どこまでこの言葉と重なるのか。なわとび競技がどれくらい受けいれられる存在なのか、ずっとぼんやりとした興味だけ持っていた自分にとって、試しにレンズを渡されたような話でした。

イラスト:五輪のようにレンズが5つ、横に重なっている。中央の3つに人が映っており、左から、スピード競技する子、縄を持って見あげる男の子、左手でリリースしている女の子を斜め後ろから、それぞれ見おろしぎみの角度。余白に「Lens」「Philosophy」「Compettion」

レンズの中の競技