とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

118 ひとりだから/ひとりなのに

■ 公園でひとりで跳ぶということ

今回は「ひとりのこと」。

子どものころ、得意なスポーツはありませんでした。

ただ、今思えば、なわとびだけは好きだった気がします。2重とびが人より跳べたわけでもないし、かえしとびすら覚えられませんでした。ただ、他のスポーツよりは練習した記憶があります。

ひとりでもできるスポーツだったからだと思います。


子どものころ、スポーツと言えば、野球かサッカーでした。

集団スポーツです。人との距離感をつかむのが苦手だった僕にとって、何かするたびに味方や敵の様子をうかがうプレーは、気持ちの落ち着かないものでした。今だからこそそんなふうに説明できますが、当時はただ、みんなと同じように楽しめないことにもやもやしていただけでした。

だから、ひとりでも跳べるなわとびは向いていたのだと思います。

もちろん、ひとりでできるスポーツはなわとびだけじゃありません。武道、水泳、陸上など、他にもあります。ただ、それらの多くは、専門の場所が必要です。ランニングやリフティング、ローラースケートなんかもひとりでできますが、あまり目立つと誰かに見られたときにあれこれ言われそうでやりづらい、という子ども心もあったでしょう。

その点、なわとびは体育の授業の中にもあります。ひとりで跳んでいてもおかしくなくて、そんなに「外」への抵抗がなかったのかな、と今は思います。


子どもではなくなった今、当然、まわりの目は変わりました。

なわとびがマイナーなスポーツだけに、大人が跳んでると不自然に見えます。これがランニングなら、そんなふうには思われません。運動不足の解消とか、大人の体力作りとか、まわりが納得できる理由が、はっきりしているからです。

大人の運動という理由でまわりが納得できるなら、なわとびだって普通に跳んでいるぶんには不自然ではないかもしれません。でも、見たことのない技や、それを組み合わせて演技っぽく跳んでいたら、ちょっと目立ちます。ましてや公園でそんなことをしていたらなおさらです。

ひとりなのになわとびをしている。

当たり前のことが、大人が、公園で、と条件がつくにつれて、当たり前でなくなってきます。人前で目立とうとしてるの? 他に場所はなかったの? そういうふうにどこかで言われてるんじゃないかと、いつも思っています。実際、そういう声が聞こえたこともありました。

環境は自由ではありません。見られてもキメ技で視線を返せるくらいのことができれば、雰囲気も違うんでしょうけれど。


いつも練習している公園には、ボランティアで草むしりをしている年配のかたや、広場ですこしだけウォーキングをしているかたがいます。

たまに声をかけられます。ほとんどなわとびのことは言われません。手押し車の金具がはずれたから見てもらえんかとか、ベンチで抱き合っているカップルを見てありゃなんだねえとか、ご近所さんみたいに話しかけられます。

練習場所で交流があるとすれば、これくらいですね。子どもが話しかけてきたのは、3年の中で2、3回くらいでした。あとは、刺激されたのか、遠くでなわとびをする子がたまにいるくらいでしょうか。

ひとりで跳ぶって難しいですね。「ひとりでもまわりが楽しめる練習の仕方」なんてことが書ければいい記事になるんでしょうけど、まわりへの合わせづらい僕には、ちょっと難しい話ですね……。


今回のイラストは、「なわとび ひとり」で画像検索した中から題材にして1枚。

イラスト:アフリカかブラジルっぽい村の広場でなわとびしている少年。空中に大きく跳びあがり、腕は大きく広げている。地面にその子の影。背景は低い建物やヤシの木。広がる空。

初めて跳んだひとりの子

海外協力隊でなわとびを紹介したときの写真みたいです。

ひとりでも楽しめるって、大切ですね。