今回は「空想のこと」。
すこし前に、三崎亜記さんの『玉磨き』という本を読みました。
ただひたすらに玉を磨き続けることを伝統産業にしている人、通勤用の観覧車に乗る人とそれを造った人、何に使われるのかわからない部品を分担して作っている人……などを取材した話です。
三崎亜記という作家を知っている人ならわかると思いますが、これは全部「作り話」です。ひょっとしたらありそうで、でも本当ではない。そんな話を書かれるかたのようです。
別の作品を何年か前に読んだことがあって、この「ちょっとだけ不思議な現実感」が印象的でした。たまたま文庫の新刊で名前を見つけて、また1冊読んでみたのでした。
SFみたいな感じですね。
どこが Sience Fiction ――空想「科学」なのかと言われそうですが、そっちのSFというより、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄さんが言った、「すこし・ふしぎ」のSFだと思います。
ありそうでないけど、あったらどんなだろうという空想を刺激するのです。
なわとびも、単縄の世界を知らないまま、単縄の世界を語られたら、どんな空想をかきたてられるんだろうと思います。
今はネットがあるので、気になって調べたら実際に見つかってしまうんですが、これがもし、ネットがなかった子どものころに話半分で聞いたならどうか。それこそ、まだフリースタイルのない時代に、『フリースタイルなわとび世界選手権』なんてタイトルの小説があったら、なんだこれ、と思って手に取ると思うんですよね。
たぶん、表紙はいろんな国の人がTJや宙を跳んでいるイラストです。
2重跳びやはやぶさくらいしか知られていない中で、謎の技に挑む少年。「なわとび?」と周囲に笑われながら、国内大会に出場し、やがて、ありとあらゆる技を駆使する絶対王者や、ありえないアクロバットを片手に乗り込んでくる選手が集結する世界大会の舞台に立つ。主人公が選んだフリースタイル演技は、どんなものだったのか。結果は――。
少年マンガっぽいですが、こんな感じの展開に、「たしかにできそうな」見たことのない技、「複雑だけど挑みたくなる」ルールと駆け引きあたりが描かれていれば、どこまでも本当っぽい話になるでしょう。
繰り返しますが、世界大会もない、何も知らない、そんな状態で読んだら、そんなのあるわけないのにリアリティ満点で本気のなわとびをする世界が浮かんで、わくわくしてたまらないと思います。
マンガ『バクマン。』の「シリアスな笑い」……とはちょっと違うかな。跳んでる側は、冗談でもなんでもありませんからね。ただ、ここまで本気でなわとびをするというのは、普通の人にとってはうそみたいなシーン。そこから本気を感じて、思わず笑ってしまうなら、これもシリアスな笑いと言えるのかもしれません。
実際は、空想ではなく、本当に存在するシーンばかりです。
動画で驚きの技や演技をたくさん見ることができます。僕も、5年近く跳んできて、動画も長時間見てきました。それでも、「こんな動きができるの!?」「どうやってやったの今の技!?」みたいな、思わず笑いで反応してしまうときがあります。
知らない、未知、というのは、現実であっても初めて知るまでは空想と同じ。
自分で新技を編み出すのは難しいですが、知らない人にちょっと変わった技を見せるだけでも、相手にとってうそみたいな本当の瞬間を見せられます。
でも、一番はやっぱり、自分がそういう瞬間を見て、跳びたいという気持ちにつながることですね。できるだけ長く、そういう気持ちを得られ続けますように……。