とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

470 その縄があったから

今回は「楽しさのこと」。

卒業式がありました。

臨時休校のまま、卒業式当日だけ登校した6年生。全国各地でいろんな形で式が行われたと思いますが、いつもより短い式なのは、どこも同じだったでしょうね。

そんな環境だったせいか、式が終わって最後の教室へ廊下を歩いていく姿は、みんな笑顔で泣いている子が見当たらない、珍しい卒業風景でした。それでも、卒業式後は記念撮影で外にみんなが残っている毎年の光景。

このあたりになると、関わりのあった先生以外は後片付けモードで動いていて、僕も職員室に戻るところでした。声をかけられるまでは。


なわとびを教えていた支援学級の子が、僕を呼んでいました。

中学校の学生服姿。笑顔はなく、緊張した様子でした。

「なわとびを教えてくれて、ありがとうございました」

うつむきがちに僕にくれたのは、1通の手紙。隣にいた、初めてお会いしたお母さんからもお礼の言葉をいただきました。最後にすこしだけお話して、毎週一緒になわとびをしたその子と、お別れしました。

職員室に戻ってから開いたその子の手紙には、いろんな技が跳べてうれしかったと書かれていました。自分がすこし固まったのを覚えています。うまく教えられた自信がなくて、その子も跳んでいるときは笑顔ではなかった記憶しかなかったからです。

自分だって苦しいところにがんばれなんて言われたら苦しい。だからなんとかなりそうなアドバイスをしぼりだす。でも、もし今アドバイスしているのが、支援の子が本当にできない部分なのだとしたら、せめて寄り添おうと自分がかけている言葉は、こんな形でいいんだろうか?

―― 467 休校と支援学級

あんな教え方でよかったのか。そう考えたまま臨時休校で終わりましたが、お手紙をもらえただけでもよかったのかなと思っていたら、もう1枚、お母さんからのお礼のお手紙もついていました。

目にとまったのは、とびまる先生の縄で跳べたと喜んでました、という言葉。その子の手紙も、よく見ると、僕の縄を使ったら …… と書いてあって、縄の力だったのかと初めて気づきました。


そこから、いろんな記憶が1つ1つ、今日までの思い出にきれいに重なってきました。

その子が初めていろんな縄を見たときのわくわくした顔。
縄は何本あるの? 新しい縄は増えた? しばらく、会うたびに聞かれました。
毎週、僕の縄を手に取るときのうれしそうな顔。
跳んでいるときは笑顔ではなかったのに、
お手紙には思い出のような書き方で、お礼を書いてくれたこと――。

僕の縄で跳べる楽しさをもっと後押ししてあげるのが、僕にできることだったんじゃないか。今になって、思い出が組み合わさって、1つの形になったように思えました。

本人は跳べなくてつらいのかもしれないと、僕は思っていました。でも、笑顔じゃないからといって、必ずしもつらいわけではなかったのかもしれません。なぜなら、あの子は緊張するとなかなか笑顔を作れなかったから。


僕は、そこを読み切れなかった。

卒業式の余韻が残る職員室の自分の席で、僕は手紙を前に目を閉じて、息をつきました。力及ばなかったな、という気持ちを吐き出して、それでも、あの子がいつもビーズロープを握っていたのが満足だったならそれでいいと思えました。

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こんな気持ちを最後に残してくれたあの子に、感謝の思いでいっぱいです。