■ 感覚がわからなければ、ポイントはわからない
今回は「感覚のこと」。
技術話っぽいですが、サイドバーにあるカテゴリーとしてはブログの話です。
感覚が気づかなければ、知らないも同じなのだと最近は思っています。
ブログの初期に、「なわとびの言語化」という言葉を使いました。特に、回し方・跳び方のような技術を言葉にして説明するのが夢でした。それはなかなか難しくて、見てわかったつもりでも、ちょっと跳べるようになっても、言葉にならないことが多いままです。
これは結局、感覚が身についていないからなのでしょう。
たとえば、手を上に向けたり、背中側で回すのを気をつけたりする技術。
478 手をいったん上に向ける や 499 月の裏側 で書きました。こうした部分をつなげていくと、いつかは縄が1周するところまで細かくつながります。そこではたと思うのです。ようやく「回すを知った」のだと。
マスターしたレベルでの「知った」ではないにしても、回すときの感覚や、感覚を得るための動きに気づいて、言葉になるくらいには知ったのではないでしょうか。
「大きく回そう」というアドバイスを過去に何度か聞きました。今でも、うまく回せていないときは、このポイントに立ち返っています。でも、どうすればいいのか、今ひとつ言葉にできませんでした。
手を上に向けたり、背中側の回旋を気をつけたりするのは、グリップの角度を大きめにつける動きでもあります。つまりは大きく回すこと。ここに気づいて、ようやく、大きく回すとはどういうことなのか、どうすればいいのか、知った気がしました。
縄の長さなんかもそうです。
4重とびのために結び目を作って ―― つまり、縄を短くして練習するうちに、普段の練習でも短めの縄で跳べるんじゃないかと気づきはじめました。それからは、結び目2つぶん短くした長さで跳んでますが、そんなに引っかかることなく跳べています。
結び目2つぶんは、人によってはずいぶんな短縮に聞こえるかもしれません。これはむしろ、長すぎたことに気づいていなかったとも言えます。
縄が長い(余りぎみで回しづらい)ことに気づかず、短くすれば今より回しやすくなることを知らない。これは、感覚というより、事実に気づかないから起こっていたことですね。
できない時期ほど、いろいろと動画を見ていました。
目に見えるポイントには気づいたつもりでも、実際跳ぶときにはそのポイントが感覚としてついてきませんでした。原因は、自分の体の動作として理解できていないからだと思います。あるいは、その動作以前の段階でできていないか。
たとえば交差1つでも、慣れない子はバッテンを作るだけで混乱しますし、それ以前に縄が前にうまく回っていないこともあります。そういう意味での「感覚不足」とでもいう状態が、できないときの自分にもあるのだと思います。
今回の話で言えば、感覚は、ポイントと結果をつなげるものです。
それを言葉にするのが、ブログ初期の夢に近いものでした。今はすこしなわとびから離れて体の動きそのものを参考にすることが多いですが、なわとびを体の運動として見つめたほうが、感覚が浮かびあがってきやすい一面を感じています。
その感覚を言葉にできれば …… というわけで、ブログカテゴリーの話でした。