とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

547 キュレーション or イマジネーション

今回は「ブログのこと」。

技術系の話が続いたのでひと休みで……。

思えばもう、7年以上ブログを書いてるんですね。それもなわとびだけで。なわとびを通じて感じたことや得た技術を書いて、だれかが楽しんでくれたり、助けになったりすればいいなあと思って、ずっと続けてきました。

昨年、『釣りキチ三平』や『ふるさと』が好きで何度も読んだ、漫画家の矢口高雄さんが亡くなったとき、こんな文章を目にしました。

「漫画に描かれた釣り方や仕掛けをその通りにやると、実際にできた。読者の子どもがこぞって釣りを始めたのは、作品にうそがなく、国内外のさまざまな釣りを紹介して夢を与えたからだ」(つり人社鈴木康友会長)

―― 中日新聞 2020.12.2 特報「死去矢口高雄さん 功績は」

僕は釣りはしません。でも、三平が山に海に駆け回りながら、冒険のように釣りをする姿に、いつもわくわくしながら読んでいました。この談話を読むまで、「作品にうそがない」なんて考えもしませんでした。思い返すと、当たり前のように出てくる釣りや自然の知識を「信用」していたのは間違いありません。


僕の書くなわとびも、「うそがない」ことには自信があります。

自分で練習したり、子どもに教えたりするなかで、考えたことや感じたことをそのまま書いているので、ごまかしようはありません。ただ、自信があるかというと、そこは声が小さくなります。なかなか上手にはなれませんでした。上手じゃないからこそ、語る技術に見落としがあっても不思議ではありません。

見落とし = 間違い = うそだとするなら、「うそがないなんてうそだ」という話になります。うそは言いすぎでも、技術紹介としては「浅い」可能性はあります。解説サイトだと思って読んだら見かけだおしで、いわゆるキュレーションサイトっぽい印象を受けて去っていった人もいるかもしれません。

そうならないような、いろんな人の役に立つ「質」を、当然、最初は求めていました。でも難しい。実際に跳べる力がないと、なわとびの技術は読み解けませんでした。そんなでもずっと書き続けて、自分の興味は解説よりも「解明」にあるのかなと思って1年前くらいに書いたのが 465 なわとび探偵 でした。

解説できないから、想像に頼るようになったのだと今では思います。


上の談話で、「その通りにやると、実際にできた」と書かれていました。

なわとびに置きかえると、僕はそこまでできませんでした。教えてもらえる機会があっても理解しきれず、そこからは自分で想像するしかありませんでした。言ってみれば、跳べないなわとび好きの食らいつきです。

堂々めぐりしているような内容ですが、読んでくださっているかたもまた、そこから想像して、自分にとってのいい気づきがあるといいのですが……。


うそと言えば、最近読んでいたミステリで、こんなやりとりがありました。

「有利だからですか? 連中は好き放題の嘘を流せるのに」
 東山刑事は不満顔だ。
「有利だよ。連中は嘘しか味方にできない。現場に立つオレたちは、事実を味方にできるんだから。嘘つきはバレたら破滅か逃亡だ。それ以外の道はない」

―― 加藤元浩『奇科学島の記憶 捕まえたもん勝ち!』(講談社

想像を続けて、すこしずつですが実のあることを書けるようになりました。うそにならない話を、これからも書いていきたいと思います。

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