今回は「未来のこと」。
まだその技には早すぎる……。
むりやり跳ぼうとする子を見ると、なんとも言えない気持ちになることがあります。うまくいかないのが目に見えているからです。何か教えてあげようにも、いったん後戻りしなくちゃ難しいことを伝えないといけない。
この子は、それを受けいれてくれるのか? ―― そんな気持ちが、胸の中でもやつくのです。
このイメージ、実は『トロピカル~ジュ!プリキュア』の家出話を見ていたときに浮かびました。家出に付きまとう不安と、跳べそうもない子に感じる不安。
どちらも、失敗する未来が見えるからでしょう。
第34話「夢は無限大! 大人になったら何になる?」は、個人的にはすこし変わった構造で、家出するのは敵側の女の子のエルダでした。主人公が家出して何かを学ぶのと違って、敵側なので展開が読めない部分がありました。でも――。
やっぱりうまくはいきません。自由な時間を満喫しつつ、夜のスーパーで警備員に見つかったり、お屋敷を思いだしてふと沈黙がおりたり、演出はそれとなく不安をあおってきます。
「エルダ、この世界の王様みたーい!」
夜の街を見おろしてはしゃぐシーンも、背中を向けた姿が孤独な表情を隠しているようにすら見えてくる。うまくいかない未来が、夜の暗さから立ちのぼってくるのです。
―― 家出って、約束された失敗なんだ。
初めてそんなことを思いました。今まで家出話を見たときにも感じた不安を言葉にしたらこんな感じでしょう。家出は、成功してしまったら、ずれた自由を認めてしまうことになります。そうさせないために、失敗するように決められたテーマなんだと。
ごく近い未来、この子は失敗する。
跳べそうもない子を見ているときに感じる気持ちと同じです。今はダメでも、いつか跳ばせてあげられるくらい教えるのがうまければ、こんなことは思いません。自分にそこまで教えきれる自信がないから、画面の中と同じで手が届かないのです。
「子どものままでいたい」というエルダの気持ちには共感する部分もありました。自分の中の子どもな部分を投影していたような気がします。でも、将来の夢がテーマでもあるこの回、戦闘シーンで主人公のサマー(まなつ)と言いあいを始めたエルダは、押されてどんどん感情的になって、叫びました。
「みんなそうやって、勝手に大人になって、エルダのこと置いてっちゃうんだ!」
一番伝えたくなかった苦しみだけを、思わず投げつけてしまったかのような言葉。かなりストレートで、自分の、特に子どもな部分に刺さりました。当時書いていた 588 つばめのうた にも勢いで書き加えたほどです。
失敗してしまう未来への予感は、こんなふうに次の未来として「できない!」の爆発まで予感してしまうから、余計に不安を感じるのかもしれません。
結局すべてうまくいかないまま退散したエルダ。
お屋敷に帰るに帰れないのを見かねて手を差しのべてくれたヌメリーさんに、負けを認めるように大泣きしてしがみつくエルダを見て、こちらもなんだか泣けました。自分の中の子どもな部分が、そのときいっしょに負けたんだと気づいたからだと思います。
でも、「できない」って、まだ未来があるということでもあります。
だから僕は、なわとびを続けてこられました。ゴールは不透明。それでも、どうすればいいか考えながら、すこしずつ跳べるようになっていく。そろそろ、年齢の衰(おとろ)えがどこかで技術を追い抜いてしまうかもしれません。でもまだ、さらに跳んでみたいという気持ちは残っています。それはきっと、がむしゃらにでも跳ぼうとする子の表情といっしょなはずです。
最後の戦いでまなつを助けたエルダは、あれからこんな未来を思い描いたでしょうか。たとえ子どものままでも、未来に夢があるなら、これは約束された成功でしょうね。
「ドロップ」
「続・つばめのうた」
今後、似たテーマで書く予定のタイトルです。未来が待ってます。