とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

693 みんなちがって、みんなB

■ ひとりひとりのちがうなわ

今回は「チームのこと」。

チームを作りあげる。

単縄を始めたころはいろいろな人のSNSを見ていて、たまにそんなメッセージも見かけました。なわとびでチームってなんだと最初は思いましたが、チームを組んで競う種目もあるし、同じなわとびでもダブルダッチはチーム。それに、グループで活動していればそれもチームです。

昔から、「チームについていけない人はどうするのか」ってよく考えてました。

新しい季節が始まって、学校なら、どんな学級にしたいのか、どんな職員集団でありたいのか、そして、どんな学校をめざすのか …… そんなチーム目標のようなテーマが最初に語られます。それを聞くと、ほんの1人2人、あるいはもっと、チームからはずれる人のシルエットが浮かびます。


僕自身、チームに加わるのは苦手です。

みんなでがんばろう、という掛け声を聞くとき、向こうは僕を含めて言ってくれていても、僕は手をつなぐ気になれないことが多い。つないでもするりと離れてしまう予感ばかりが浮かぶからです。年齢を重ねると、予感ではなく、経験から見た予測にすらなっている。集団の雰囲気に合わせられない傾向のある人は、そうやって自分を知っていくのでしょう。

みんなちがって、みんないい。


金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」の言葉を、通信や級訓に借りる先生は多いです。集団として「箱詰め」されている場所だと、一丸となること(あるいは自分がそれで幸せだったこと)が理想の先生もいます。でも、それではこぼれ落ちる子がいると思う先生は、どこかで上の言葉に力を借りています。ひょっとしたら、先生本人にそう感じる部分があるのかもしれません。


1つ、なわとびに関連して思うのは、学校の集団とびが変わったことです。

全国的な話なのかはわかりません。子どものころ、集団とびは「大縄」でした。長縄と言えば、クラス全員で1本の縄に入って跳ぶ。最後はクラスマッチで回数勝負でした。ところが、学校で事務職員として働くようになって、小学校で見た長縄はどこも8の字でした。

これ、数えかたが違うんですよね。同じ連続回数でも、大縄だと「途切れたら最初から」、8の字だと「時間内なら回数継続」。ローカルルールだと違いがあるかもしれません。それでも、8の字のほうが失敗に対しておおらかに感じます。

大縄の記憶には、引っかかった誰かを「犯人探し」する光景が残っています。記録がリセットされるから、引っかかる責任が大きい。8の字なら、時間のロスこそあれ、カウントが一時的に止まるだけで記録は続けてもらえる。誰か1人が記録を「おしゃか」にすることがないのです。

そういうねらいで変わったわけではないかもしれませんが、ちょっと救われた感があると、個人的には思います。


競技なわとびだと違ってくるのかな……。

2人とびで感じるのは、「人の回す縄がわからない」ことです。ダブルダッチも同じ。自分で回す感覚から切り離された縄を跳ぶって、今でもしっくりきません。自分のペースでないと動けない、特性に近い部分と、苦手意識が重なります。

そういう人は、なわとびが同じように好きでも、競技やイベントのように結果を求められる世界でチームに入るのは難しいのかもしれません。チームの側で特性を理解して、役割を作ったときに、初めて居場所が生まれるのでしょう。本人が望んでいる姿になっているかどうかは、また別ですが。

チームに望んで入る人には、あまりそういう特性はないのかもしれません。でも、チームを意識したとき、初めて雰囲気への収まりぐあいに気づくこともあります。僕も、何度もお誘いを受けて、自分の心が寄りそわないことに気づいて、離れて、今があります。


 ―― みんなちがって、みんないい。

この言葉、有名ですけど題名ではないんですよね。ただ違いを認めるだけでなく、自分がその立場だったらどう思うのか、共感を投げかけられているとか……。

「みんないい。」が成り立つやりかたがないと、区別するだけになってしまうのかな、と思います。

なわとびなら、向きあいかたはみんな違います。たとえば、もっと単縄が広がれば、誰かにとって収まりのいい場所が生まれるかもしれない。

なわとびを握ってそれぞれの方向に踏みだしている人たちは、誰かの居場所を作ろうとしているのかもしれません。

イラスト:そろって撮影している様子の7人の子ども。しゃがんで背を向けてアームラップを決める男の子。そばで腕を組んで縄を首にかけて難しそうな顔をする男の子。クロスフリーズする男の子。真ん中で縄を持つ女の子。その横で片手と片足を上げて大きく縄を垂らす女の子。身を縮めながらカメラを見つめる女の子。縄をたすき掛けにして微笑む大柄な男の子。

Aには届かないかもしれないけれど