■ されどシングルロープ
今回は「イメージのこと」。
前々回、想像力という言葉を使いました。
なぜそんなフォームで技を跳ぶのか? 想像してみれば、見た目も違ってきます。
趣味でなわとびしてると話すと、多くの人は「2重とびや3重とびを跳んでるんですか?」と聞いてきます。なわとびのイメージはそこなんですね。たぶん、その人の中で、「大人がわざわざ趣味で跳んでるんだから、3重とびくらいは跳べるんだろう」と、ちょっと評価して技を例示してくれてる部分もあるのかもしれません。
きっと、複雑な交差や、グリップを離して宙で回してるなんて、思わない。
タイトルに、シンプルロープという言葉を使いました。
なわとびのイメージには、「単純な」回しかたや、「単なる」なわとび、といった軽い見かたも言外に含まれていると思います。「Simple Rope」 ―― 単縄です。
学校で使われる「たんなわ」は、長縄の反対で「短縄」のようですが、スポーツや競技のなわとびでは「単縄」と書きます。自ら単純と名乗っている? 違います。こちらは「Single Rope」を訳して単縄です。1人で跳ぶ、1本の縄で跳ぶ、単数の意味で Single が使われているので単縄。そんなふうに覚えてます。
そんな単縄は、単純な運動ではなく、複雑でいて鮮やかななわとびです。
僕は、単縄の技でTSを例にあげることが多いです。上の 703 で、かつて子どもにちょっと気持ち悪いと言われた背中交差。でも、イメージしてもらうにはわかりやすい技だと思うんです。
TJだと、トードの部分を「片足を上げて一方の手を脚の下に入れた交差」と言っても正直わかってもらえません。リリースも、「一方の手のグリップを離して空中で回す」でどれだけ通じるか……。(あくまで、言葉で)
これがTSだと、「背中側で交差」が案外通じるんです。そして、そんなことできるの? と反応してもらえる。「単なる縄」じゃないことに気づいてもらえるのです。
タイトルに、たかがという言葉を使いました。
なわとびはみんな知っている運動です。でも、知っている範囲では、ただ縄を回して跳ぶだけのイメージしかありません。4重とびや5重とびが跳べればすごいことはすごいのですが、あくまでも2重とびや3重とびの延長です。単なる縄のイメージは超えられません。
それが、多彩な技が知られることで、「されど」に変わる。
単縄をやってる人には、相手のなわとびのイメージが変わる瞬間に、小さく魅力を感じている部分もあるのかもしれません。マイナー自慢な雰囲気もありますが、なわとびの世界や領域を、自分の手で広げてみせた達成感でもあるのです。
703 で話に出した短編小説は、おならを使った芸人が主人公です。
おならは人が避けるもの。ひいき目に見ても、冗談の道具。でも、主人公はくさいガスではなく、ためた空気を自在に放って芸を生みだします。師匠と過ごす日々、相棒とともに立つ初舞台。数えきれないほど放たれる少年のおならは、いつしかただの空気ではなくなっていく。なわとびにも、同じイメージを感じます。
師匠が口でヤッホーと叫んだ。それがアルプスにこだまするかのような放屁に変わって消えていく。途端にユールレイヒイと裏声のヨーデルを一発。なんと民謡の「おお、ブレネリ」が始まった。おまけに曲の最後はお尻でヤッホー、ホトラララ、ヤッホ、ホトラララ、ヤッホホ。稽古する二人を秋の雨が笑っていた。