とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

729 見えない生命線

■ 軌道は生命線

今回は「角度のこと」。

このまえ、後ろSOEBOが一度も成功しませんでした。

これを書いたときには、おもしろいように回せたはずだったんですが……。

 


あとでわかったのは、背中側の手の角度がズレていたからでした。


つくづく、後ろは見えないと思います。

もともと僕は背中に手が回る技(EBやCL)で、背中に入る左手が前に出るクセがあって、EBだと角度のズレがわかりやすいフォームになります。

イラスト:OからEB、EBからOの軌道を描いた図。左は自分のクセ。背中の左手が前に出て、OからEBが右前まで出てしまっている。EBからOへの戻しも動きが大きい。右はOからEBが横に通り、Oへ戻す距離も短い。

左がズレた背中の手、右が理想(たぶん)

グリップの上下は見えづらいですが、軌道が違ってきます。

これ、意識して左手の角度を外側に向けないと、右手とのバランスがそろいません。なわとびに詳しくない人でも、普通の前とびで考えればわかると思います。左右の手(グリップ)が水平になれば、同じ直線上で縄をコントロールできるのです。

後ろSOEBOでも同じで、やはりEBに入ったときに手の位置がそろっていないと、手のズレが縄の軌道のズレにつながります。EBは足の下を通っても、最後にOに戻すところで一気に難しくなります。

僕のクセだと、背中の左手が前を向いているぶん、戻すときが大回りです。余計な距離を使って体の左横まで戻ることになりますし、余計な角度がつくから足にも当たりやすくなります。だから引っかかるのです。

上の 727 でグリップの可動域を広げるような感覚に手ごたえを感じたせいもありますね。動きの広がりが、自然と本来のクセまで及(およ)んでしまった ―― のだと思います。


軌道は線。生命線だと思います。

大げさに言葉を選んだものの、縄がブレやすい身としては、けっしてオーバーな表現ではありません。軌道という線を崩す要因は、すべてミスだと言ってもいい。

ここで再び「見えない」という言葉を持ちだすんですが、後ろに限らず、縄の軌道はなかなか見えないものです。足の下を通ってしまえば、多少ブレていても回ったことになるからです。

だから、皮肉なことに、「見える」のは体のどこかに当たったときです。当たって初めて、軌道がそこまでズレていたことがわかる。そこを避けようと意識することで、人は縄を見ようとするし、手先を動かして、縄をコントロールしようとするのです。

動物が命を守るために危険を避けるのといっしょで、なわとびでも、ミスという危険を避ける軌道が、生命線になるのでしょう。


でも、やっぱり、クセがあると難しいですね……。

クセに流されれば縄がそれてミスるのはわかります。一方で、あえてクセを抑えようとすれば体は苦しい。体にとっては、一種の危機なのです。なわとびの生命線に体が合わせてくれるとは限らない。この現実にどこまで向きあえるかも課題でしょう。

後ろSOEBOだと背中の手は、せめて真横、できればすこし後ろ側を向けたほうが、最後のOの戻しでムリがなくてすむのかな、と思いました。これくらいでも僕の手首はきしみますが、致命的な苦しさではありません。

ベストかどうか、答えが見えない話なのは変わりませんが。