とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

886 無意識上昇身直法

■ 上がる意識が体を作る

今回は「ジャンプのこと」。

タイトルはお経のもじりです。

以前、武道系のブログで、構えや姿勢について書かれていた文章を読みました。「一定の方向に構えていれば、自然と同じ姿勢に戻ることができる」という内容だったと思います。

武道には明るくないんですが、受け・攻め・型のような各場面で、構えや姿勢は必ず生まれています。よくあるのは、片脚を引きつつ、手は顔の前で左右違う高さで構えるようなポーズでしょうか。

たとえば組み手で受け側に回るとき、ただ受けたり防いだりするだけでなく、最初のポーズを常に意識して、自然と体が基本の構えに戻る ―― そんな状態でしょうか。


なわとびでも似た仕組みが使えそうです。

実は、読んだブログでも連続2重とびが一例であげられていました。1回限りのジャンプと違って、続けて跳ぶために蓄(たくわ)えた力で自然に跳ねあがるような状態ではないかと。

それをふまえて単純に言うなら、「常に上がることを意識する」です。

なわとびを続けてきて、単純なようで難しい部分だと思っています。着地で沈みこんだり、回すことに意識が行ったりして、体を上げるための意識がどこかへ飛んでいることってありますよね。

このブログでも、手(スイング)と足(ジャンプ)の連動にふれた話を何度か書きました。どちらかに意識が集中してしまうと他がおろそかになる様子を失敗例にあげています。

ジャンプって、脚だけでもできてしまいます。ただ、上半身が上がらないので、腰から下だけが動いている状態にしかなりません。小さな子が、なんだかひょこひょことしか跳べていないときは、たいてい脚しか動いていません。

肩を上げてみる、背伸びするような姿勢をとってみる、グリップを上に向けてみる …… 腰から上も上がるような周辺動作もいろいろとテーマにしてきました。「上がろうとする意識」があればなんらかの動作で高く跳べる人は別として、その動作自体が不慣れな人にとっては、体の動かしかただけでも大きなヒントですから。


難しいのは、リソースを1つ使ってしまうことです。

跳ぶだけでなく手も縄も動かさなくてはいけない中で、体を上げようと意識するのは動きが1つ増えるようなものです。

ただ、ジャンプとスイングの短い瞬間の中にも順番はあって、踏みこみ(連続なら着地したあと)から体を上に伸ばすところが「上がろうとする意識」でしょう。スイングへの意識はそのあとかと思って回しています。リソースの切り分けにはなっているはず……。

さらに言うなら、上がろうとする意識を地面にいる段階で持てるといいですね。

イラスト:踏みこみからジャンプにつながる様子を3コマ。上部に「上がる意識を持つことで → 自然と体も上がる姿勢になる」 絵は左から、踏みこみ状態で上方に点線矢印とシルエット。続いてジャンプで体が上がりだすところ。矢印が増え、上に回した縄にシルエットが重なる。そして、シルエットの場所へジャンプ。縄は足の下へ。

上がる意識が体を作る

大げさかもしれませんが、理想像のように放出した「上がる自分」を追いかけて跳びあがるような。

ここをどれだけ習慣化できるか。無意識、反射的と言いかえられるレベルに持っていけるかがジャンプをおろそかにしないことですし、回しきれるだけの高さを作ることができれば、技の成功にもつながります。


タイトルはお経のもじりと書きました。

いわゆる般若心経で、「むーいーしきじょうしょうみーちょくほー」と読むイメージです。

お坊さんは流れるように読経できるほど覚えてますよね。木魚をたたき、ときに座位を変えながらもお経は途切れません。あんな感じで、自然と体を上げる意識を持続しながら跳べるといいなあ、と思います。