今回は「演技のこと」。
実はこのまえ、別の小学校の全校児童の前でなわとびをしました。
僕のなわとびのうわさを聞いた先生からいただいた話でした。体育館のステージで、夏祭りの演技をアレンジしたものを1ミスくらいで見せることができました。
おそらく、今までで一番よくできたと思います。
ただし、音楽なしでやりました。
曲つきでうまくいったためしがないので、できることをやろうと決めて、夏祭りの演技を次の3部構成にして、曲なしの30秒ずつくらいに分けて跳びました。
1.跳ばずにリリースやラップ(これは夏祭りの跳ばない30秒のまま)
2.多回旋(SCC系とかTJとか)
3.その他いろいろ(ドンキーとか変わったローテーションとか)
不安のあった技はほとんどやめて90秒。ほぼ予定どおり跳べました。自分のペースで余裕を持ってできたのが一番だったと思います。どよめきや大きな拍手が途中でも起こって、1~3をそれぞれポーズで締めるのが恥ずかしいくらいでした(笑)。
話をいただいたのは当日の2日前で、その日の夜に何をやるか考えて、次の夜に公園でやってみて、翌朝には体育館のステージの上……という急ぎ足でしたが、元になる演技があったおかげでわりとなんとかなりました。
期待にこたえるってこういうことなのかな、と初めて感じられた時間でした。
自分の満足より、相手の満足ということです。
2、3年前なら、きっと音楽ありで勝負を賭けて失敗していました。その失敗は自分のダメージだけでなく、期待への裏切りでもあります。
できない自分を知ったからこその選択でしたが、リリース1つでどよめくくらい、いい反応が返ってきて、自己満足から逃げたことで、代わりに見ている子たちの満足を作れたんだな、とあとから思いました。
始めからそういう余裕があったわけではありません。失敗したくないから音楽なしにした、というのも別の意味での自己満足でした。喜んでもらえたのはあくまで結果でしかありません。
それでも、こういうやりかたなら、自分でも期待にこたえられるのかもしれないと思えました。進んでやりたいとは思いませんが……。
とにかくほっとした、ミスも少なく跳べてよかった、という気持ちがほとんどです。
依頼の重さとはこういうことなんですね。たぶん、単縄を始めたころに夢見ていた「依頼にこたえたあと」にはたどりつけました。でも、あのころイメージしていた、達成感に満ちた気持ちとは違うところにたどりついた気がします。
うまく回せない状態は変わっていません。曲なしでやりきって、「やっとこのレベルなんだ」と淡々と感じたのが現実でした。
そう思えるようになったことが、一番の上達だったのかもしれませんね。
Mr.Children の「タガタメ」とかヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』とか検索しているうちにこんな1枚に……。全部イラストの型抜きでよかったかもしれません。
誰がために君は跳ぶ、ですね。