とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

661 弾丸よりもはやく

■ 止まれと叫ぶ声が聞こえる

今回は「リカバリーのこと」。

忘れられない恐怖のワンシーンがあります。

子どものころに見た、アニメ版の『エスパー魔美』第19話。ひさしぶりにアニメを見るようになって、もう一度見てみたかった話で思いだした1つがこれでした。藤子不二雄作品は、F先生のほうでも油断するとすごく怖いシーンが飛びこんでくるんですが、この話に出てきた暗殺者と対峙する場面に、射すくめられた覚えがあります。

もう一度見て、何がそこまで怖かったのか、逆に、その怖さは教訓になるとも思った、そんな話です。


第19話「弾丸(たま)よりもはやく」。

中東から来日した要人が命を狙われているとニュースで見た魔美が、超能力でなんとかしようとする話。魔美の能力を知っている高畑くんが、いくらなんでも危険すぎると言っても聞かない。ブローチから発射する玉に反応してテレポーテーションしている自分なら、銃弾だってよけられる! ―― そう豪語して、暗殺者が潜んでいた狙撃場所に瞬間移動した魔美が目にした「敵」。

浅黒い肌と、片目を覆う長い白髪の男。突然現れた魔美に一瞬だけ動じつつ、即座に銃を構えて「標的」を見つめる生気のない目……。

魔美は完全に呑(の)まれました。当時の僕は、主人公ならピンチになっても最初は抵抗できると思っていたのをあっさり覆(くつがえ)されたのです。おそらく言葉は通じない。それ以前に、突然現れた女の子でも「始末」しか選択肢を持たないその姿に、心すら届かないと思わされて、銃口を向けられているのは自分でもないのに、射すくめられたのでした。

今見ると、魔美のうかつさが際立って見えました。

命にも関わるのに高畑くんの忠告も聞かず、バッティングセンターの球をよけられたくらいで自信を持った心の軽さ。僕は子どものころからそこまで度胸がなくて、当時この流れを、危険だからやめてほしいと思って見てました。暗殺者の眼光を前に動けなくなった魔美に、それみたことかと目をそむけたくなるような気持ちだったのが、そのままそのシーンの恐怖にもつながったようにも思えます。


引き際の大切さですね。

やってはいけないところで踏みとどまる、自分への合図。魔美は能力を過信していた部分もありますが、同じことをやりがちな人は、過去に、どこかで、引き際に気づけるだけの経験をしていることが多いはず。

なわとびでも、「まだいける」と思った技をはずすことがあります。体勢が崩れかけているとか、リリースをキャッチしたときにグリップの握りがズレたままとか、ニュートラルな状態で技に入れないシーンはままあります。フリースタイル演技だとこの一瞬が多くて、すこしムリがあってもその技を見せたい気持ちが勝(まさ)ってつっこんでしまった経験のある人は、ほぼ全員でしょう。

ただ、その失敗を「たまたま」と思わず、「これからもやりかねないこと」ととらえて対策を打てる人は強い。僕は競技動画を見ることが多いですが、技の途中で動きを止めたのがわかるシーンをたまに見ます。動きが揺らいだとき、技自体跳ばずに前とびで間をもたせているシーンもありますね。


どれも、ピンチにはムリして跳ばないと決めているからでしょう。

競技なんかだと、ミスは減点対象です。減点されるより、何もしないほうが総得点が有利なケースは多いです。パフォーマンスでも、強引に引っかかるより、体勢を戻して、次の技をちゃんと跳べたほうが観客への印象がいい。

縄が速く回る中で、瞬時にそれを判断する。弾丸よりも速く。

失敗したときの対応を「リカバリー」と言いますが、どこまでそれを想定しておけるかも大切な手立てです。なわとびに限らない話だと思います。

 

◆イラスト:路上で変装した高畑くんを追いかける魔美。「何もあの男に変装することないじゃない!」「失敗を見直したいと言ったのはきみだろ!」 縄を持ってあきれるコンポコ(魔美の飼い犬)。

藤子マンガでよくあるオチっぽく

なわとびとしてはオチてないので、コンポコに縄を持ってもらいました……。