■ なわとびに何を求めていたのか
今回は「大会と夢のこと」。
8月の上旬に2つのなわとびの大会がありました。
World Jump Rope 2015と、第8回アジアロープスキッピング選手権大会。昨年はリアルタイム(配信動画ですが)で大会を見るのは初めてだったのでいろいろ見ましたが、今年は一度も見ませんでした。
気が乗らなかったんですよね……。
ブログを始めたころは、なわとび界なわとび界、と自分も一員みたいに記事にしていたものの、今は熱が冷めているというのか……。こういう大きめのイベントでも、「ただ見るだけ」ですら接点を持とうとしなくなったあたり、自分の守備範囲が小さめにまとまったのだと思います。
さて、そんなアジア大会の優勝演技(?)らしき動画があります。
出場区分に詳しくないので、「15+ Male Champion」が一般男子1位のことかはわかりません。
ものすごくストイックな演技ですよね……。
レベル3~5くらいの技をまんべんなく連発して、技点を取れるだけ取っている感じ。技に詰まった感じのところでは、無理に跳んでミス→減点になるくらいなら跳ばないという選択? 見当違いのことを言ってたらすみません。きっちり勝ちに行ってる印象を受けました。
一方でハデさがありませんでした。別にハデな必要は(たぶん)ないんですが、これだけできる人だとバク宙とか見ごたえのあるシーンがある気がしたので……。
見ごたえがあるとすれば、「終始一定の見ごたえ」というんでしょうか。なんであんなに高く跳びながら「きれいに」「速く」回せるんでしょうね。いろんなところで動画を止めてフォームやタイミングを見せてもらいました。
これが「競技の演技」なのかな……というのが第一印象でした。
たぶん、その距離感が、自分と大会との距離なのでしょう。
「大会には出ないんですか?」
昨年からなわとびを通じて人に会うようになって、いろんな人に聞かれました。半分以上の人に、一度は聞かれたんじゃないでしょうか。これだけいろんな人に聞かれると、なわとび関係者の「共通のあいさつ」にすら思えます。
なわとびのブログや動画を発信してるくせに自分だけ違うみたいな書き方になってますが、自分が逆の立場なら、やっぱり同じ質問をする気がします。それだけ「最後は大会に通ず」みたいなステップが、イメージとしてあるんでしょうね。
競技に出る人はみんな、自分なりの目標順位とか、参加だけでもにぎやかにしたいとか、競技の中での夢があるのだと思います。
じゃあ自分は?
夢があったとすれば、もう夢はかなった気がします。人前で演技すること。それだけでした。学校以外でも機会をいただけて、結果は失敗ばかりでも人前でなわとびを見せることができました。
ミスの少ない演技はできていません。ノーミスが夢かといえばそうでもなく、努力目標と言ったほうが正しいです。なわとびでかなえたい夢は、もう、ぱっと浮かんできません。人前で何度か演技したら、夢らしい夢はいつのまにかなくなっていた。そんな感じです。
今になって、ようやく気づきました。
演技にしても、学校でなわとびクラブをやらせてもらえたことにしても、「すること」そのものが目的で、それを高めることまでは強く求めてなかったのでしょう。もちろん今でも、どうやったらもっとうまくいくのかは考えてますし、試してもいます。でも、夢とまで言い切れるほど気持ちが強くないのは確かです。
気持ちの差。
競技や大会に足が向かない理由はここでしょう。お祭りではなく、強い気持ちを大勢がぶつける場所に、技術も気持ちも中途半端で踏み込めません。「ただなわとびを楽しみたかった」という気持ちは、こんなところにも素直に表れていたのかな、と思いました。
動画のCheung Pak Hung選手が中盤で後ろ4重系に入ったあたりの1枚。とどめに後ろTJ4重(?)をキメるとはすごいですね。ずっと見ごたえがあった中で、一番気持ちが入ったシーンに見えました。