今回は「集中のこと」。
ひとつのことに集中できる。
特技というのか、アピールポイントというのか、そういう表現があります。
その分野を突きつめて、大きく力を発揮できる。それが強みであり、期待できるということでしょう。
なわとびでも同じことが言えます。でも、「ひとつのことしかできない」という見方もあることを、忘れてはいけないと思います。
なわとびは複数の動作を同時にこなす必要があります。
足で跳びながら、手で回す。
右手と左手をバランスよく動かす。
空中でバランスを取りながらいろんな位置で手を回す。
なわとびそのものは(スポーツの1つという意味で)「ひとつのこと」ですが、いざ挑戦すれば、その動きはひとつに収まりません。
練習していくうちに、動きの数々を統合して自在に跳んでしまえる人なら、なわとびは「ひとつのこと」です。そういう人は、他に気を向ける余裕もあって、「ひとつのことしかできない」なんてことはないでしょう。
でも、ひとつのことしかできない人はいます。
自分もそう。なわとびを通じて、複数の動作を扱うことにこんなに苦労するとは思ってもみませんでした。力を入れれば左手がおろそかになり、左手を意識すれば全体の動きが鈍くなり……。
それでも、考え続けたおかげで、体が右に開きがちになっていることや、手や縄の動きに気をとられて跳べていないことなど、いろいろな欠点が見えてきました。
その欠点も、ひとつずつしか克服できなくて、克服した部分をうまく組み合わせていい跳び方に作り上げるのは、なかなか難しいです。これもやはり、いろんなことを同時にはできず、ひとつのことしかできない現れなのでしょう。
なわとびという「ひとつのこと」をがんばれば、いつかあこがれたなわとびができる。
そんな大きな視点で夢を見る前に、ひとつの動きしか制御できないことに目を向けなければいけないのかもしれません。そういう意味で、同じ「ひとつのこと」でも、「ひとつのことしかできない」人である可能性を、忘れてはいけないのだと思いました。
残酷ですが、そういう人は、簡単には人より上手になれません。気づかなければずっと泥沼、気づいても、克服するポイントが人よりも多いからです……。
なわとびをやめたほうがいいという意味ではありません。
人より上手になることだけが目的ではないからです。自分のめざせるレベルを目標にすればいいのです。そこまで行って、あきたらあきたでゴールです。
ただ、いろんな人ができているからと、身のたけに合わないあこがれを持ってしまうと、いつまでもたどりつけなくて苦しむことになります。それは、悲しいことです。
なわとびを続けていく、あるいは、これから始める、というときに、こういう視点を先に持っておくと、向き合い方も変わるのではないでしょうか。