今回は「特別支援学級のこと」。
あと1日でできることは?
臨時休校の要請。教育委員会からの連絡。2/28は落ち着かない1日でした。とはいえ、3月の予定を前倒しにしてその1日につぎこむのはムリがある話で、案外、「やれることしかやれない」みたいな落ち着き(あきらめ?)もただよっていたように思います。
そんな中、すこしずつ校内をめぐる6年生の姿が増えてきました。職員室にもいろんなグループが「○○先生はいますか?」とやってきます。その手には「○○先生へ」と書かれた手紙。
朝一でお礼の手紙を書いて、配りはじめたんだ……。
6年生にとっても実質小学校最後の1日。限られた時間の中で選んだ活動がこれだったのが立派だったと思います。そして、特別支援学級の6年生が僕を訪ねてきたとき、自分にも小さな別れが待っていたことに気づきました。
実はこの1年、特別支援学級の子になわとびを教えていました。
支援学級の体育は、体づくり的な運動をする時間を多くとっていて、せっかくなわとび名人(!)がいるならぜひ …… というわけで週1回、特別支援学級の体育に顔を出していました。
毎週体づくりの運動をしているだけあって、その時間の体育に参加している子は、体を動かすのが苦手な子が多いです。できる技は低学年の子とどっこいどっこいで、教えていても、できないのですぐに気が散ってしまうことばかりでした。
それでも、見ている子たちが、ビーズロープを選んでみたり、すこし時間を置くとまた交差とびに挑戦してみたりしているのを見ると、なんとか跳んでみたい気持ちがずっとあるのはわかりました。
僕にできたのは、そこで見守って、こうしたらいいんじゃないかな、と声をかけるだけ。もしかしたらもっといい教え方や雰囲気づくりがあったのかもしれませんが、僕にはそこまでの力はありませんでした。できている瞬間を盛り上げて、でもそれ以上の上達には届かずに終わった気がします。
急な6年生最後の日に職員室に来た支援の子たちは、かしこまった雰囲気に緊張しながらお礼を言ってくれました。臨時休校があまりに急で、週1回のなわとびも終わることにお互い頭がついていっていない感じで、うまく言葉になりませんでした。
言葉にならなかったのは、ずっと同じでした。
支援の子たちに、どこまで求めていいんだろう ―― そんなことを考えながら、毎週一緒に跳んでいました。同じ年齢の子に比べれば、どうしてもぎくしゃくしてしまう動き。前回書いた、着地で地面をけって音が大きくなる話も、支援の子たちを見ていて気づいたことです。
回す、跳ぶ、という複数の動作を、なかなか身につけられない子たち。できなくて苦しそうにする姿を何度も見ました。その苦しさは、人並みに跳べないまま何年も単縄を続けてきた自分の姿ともダブりました。
自分だって苦しいところにがんばれなんて言われたら苦しい。だからなんとかなりそうなアドバイスをしぼりだす。でも、もし今アドバイスしているのが、支援の子が本当にできない部分なのだとしたら、せめて寄り添おうと自分がかけている言葉は、こんな形でいいんだろうか?
出そうとした言葉に迷い、それでも、勝手にその子の限界を決めつけてはいけないと思い、決め手のないまま、1か月早く1年が終わってしまいました。
支援の子のなわとび画像は少なめですね。
4月からまた呼んでもらえるなら、10分20分のことでも、言葉や雰囲気を探していきたいと思います。