とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

605 氷上の翼

今回は「若宮アンリのこと」。

最新のシリーズがいよいよ最終回という時期ですが――。

以前、『HUGっと!プリキュア』がニュースになったことがあります。とある先生の孫話でタイトルは知っていたので、記事を見かけたときに読みました。去年全話見てみたとき、その回の一大場面は、当然もう知っていました。


でも、一番目を引いたのは、クライマックスのこのせりふでした。

「エール……
 頼む、 ボクに、 ……応援を!!」

  ―― 『HUGっと!プリキュア』第42話「エールの交換!これが私の応援だ!!」


「エール」というのは、主人公が変身したキュアエールのこと。

若宮アンリのこの言葉が意外だったのは、「ヒーローに助けられるときはみんな無力」だと思っていたからです。でもアンリは違った。ヒーローに力は借りるけれど、あとは自分でなんとかすると言いきった。

これって、なかなか見ない瞬間でした。プリキュアというヒーローものとしては、ある意味、ヒーローを脇役・サポート役に追いやる展開です。

ただ、アンリはもともとそれができるほどの存在でした。フィギュアスケート界の至宝。ジェンダーにとらわれない立ち振る舞い。自分の道は自分で切りひらけてしまう。何かになりたくてもかなわずにいる他の登場人物の対極にすら見えました。

そんなアンリが、夢を絶たれるくらいの苦境に投げ出されて、それでもはいあがるように、力を借りようとした。

みんなを笑顔にするために。
なりたい自分の姿を届けるために。

今の自分に力がないのなら、堂々と力を借りて、最後は自分ではばたくのだと。


自分にはないものだから、きれいに刺さりました。

なわとびで、だれかのためとか、力を借りようとかいう気持ちが薄かったからです。

フリースタイル演技を人に見てもらうのが最初の夢で、これは何度もかないました。喜んでもらえたことも多いです。ただ、途中で、本当は演技すること自体が楽しいんだと気づきました。見てくれる人のためというより、自分が楽しめるのが大切で、それを見た人が喜んでくれたらいい、くらいの気持ちだったのです。

おまけに、そこまで上手になれなくて、力を借りて教えてもらわないとダメかもしれないレベルでした。それでも自力で続けたのは、上手になる道筋を見つけること自体が、目的に変わっていったからかもしれません。

自分しか見ていないような話ですが、だからこそアンリの姿は、目に映るシーンよりも、心の中でまぶしく映りました。


 ―― 応援なんて、だれにでもできる。

かつてそう言い捨てた相手に応援を求めたアンリ。だれかのためにがんばる人はたくさんいます。ただ、アンリが際立って見えたのは、やっぱり、作品のテーマである「なりたい自分」をすでに手にしていたからでしょう。それを奪われてもなお、もう一度なりたい自分を追い求めた。それまで、してもらえれば十分だった応援を、今の自分に必要なものだと受け入れて堂々と望んだ。その姿がアンリの強さを際立たせて見えたのです。

魔法の時間がとけて、リンクに落下したのを親友の正人が必死で受け止めて、涙をこらえて、「なんでもできる、なんでもなれる」と言うシーンがあります。僕には、これからのアンリへの最初の応援に見えました。アンリが、逆にそっと支えるように手を当てながら微笑む姿に、気高さを感じました。

「たとえ、若宮アンリの体でも、若宮アンリの心を縛ることはできないんだ」


同じ話のラストより。アンリは、自分を語るときに理想像のように「若宮アンリ」と呼びます。きっとそれこそがアンリのなりたい自分なのでしょう。何か、尊敬に近い気持ちがわいたせりふでした。

f:id:tobimaru-jdr:20220126223105j:plain

縄を取り入れるのもおもしろいね、のようなワンシーン。アンリのような強い理想像と比べればちっぽけですが、僕もどれだけなわとびで失敗しても、また何かを追い求めたいと思う瞬間は、きっと同じです。体のクセが跳ぶのを苦しめても、跳びつづけたい気持ちは縛れません。

その思いを、大切に持ちつづけたいですね。ありがとう、アンリ。

 


 

応援、ということで、感染状況に緊張していますが実施できますように。