とびまるの「なわとびのこと」

なわとびのことを書いたり描いたりするブログ。

634 跳べるんだから跳べるよね

■ その高さを求めて跳びつづけた背景

今回は「ジャンプのこと」。

頭の片すみで消えない言葉。

高いジャンプをテーマに2回。今回は印象面の話です。タイトルは、以前、知り合いに大会の動画を見せたときにつぶやかれた言葉で、どちらかというとあきれた感じで口をついた感想に聞こえました。

一言一句そのとおりに言ったわけではなかったと思います。ただ、「これだけ高く跳べるんならいろいろできるよねえ」みたいなニュアンスはゆっくり僕の中にしみこんできて、ああ、こういうとらえかたもできるんだな、と静かに飲みこんだ記憶があります。

興味しだいで、こういう反応があってもおかしくないでしょう。ストレートにつぶやいてくれてよかったと思ってます。


ちょっと興味深い感想でもありました。

その人にはきっと、「すごさ」とは別に「肩すかし感」があったんですよね。何度か書いてきた、「すごいけどよくわからない」感の延長というか……。とりあえずわかるのは跳んでる高さで、理解がそこに収まって終わりだからあまり響かない ―― こんな感じでしょうか。

もうすこし想像すると、「高さで解決してる」感があったのかもしれません。それこそ、5メートル跳べれば10重とびだって跳べるよね、みたいな。


見る側と跳ぶ側の受け止めかたの違いですね。

跳ぶ側からしてみれば、高く跳ぶのは「余裕を作るため」だと僕は思っています。KNTJCLのような複雑な交差の連続にしても、ゴーストみたいに回転を交えた技にしても、滞空時間が長くなれば、それだけ着地までに動く余裕ができる。目標のために高さも求めているのです。

でも、見る側 ―― 特に高さだけが目につく人には、高く跳べばどんな技でも放りこめるような印象があるのかもしれません。そこが「高さで解決してる」感につながって、どこか残念さがただよう反応になるんじゃないかと。


高さの印象も変わってくるものですね。

僕なんかはずっと、跳ぶときの体の使いかたがわかってなくて、抜けだせたのはこの2~3年です。4重系の技にもすこし余裕ができた今を思うと、過去の自分に「高さへの渇望」がきっとあったんでしょう。

だから、高さだけで見てほしくはないな、と思います。その高さを求めて跳びつづけた背景みたいなものも感じてほしい。

ただ、高さに「引く」気持ちもわからなくもありません。なわとびは縄が主役。技術的には、回す手の動きにこそ魅力があると考えれば、高さで解決するのが期待はずれという感覚も理解できます。それは、跳ぶ人が、高さに頼らなくても回しかたで技を成功させられたら …… と思うのと重なる気持ちでしょう。


この前、学校の畑のわきにひまわりが伸びているのを見ました。

人の背丈ほどまで伸びていて、いつのまに、と思うと同時に、その高さにちょっと「引く」感覚がありました。きっと、こういう印象なのでしょうね。

これもやっぱり、見るときの気持ちしだいで変わるものです。その姿から、だれかを照らす光になりたいと思えば、高さはあこがれにも変わることでしょう。

イラスト:学校裏の畑。太陽を背にした大きなひまわりを見上げる女の子。なわとびを手にするその子は、何を思うのか。

威容を前に