■ 変わらない言葉とグリップ
今回は「比重のこと」。
―― どんな話がいいかなあ。
と考えると、今の時期なら学校で使えるコツやアドバイスがいいに決まっています。多くの小学校で、かけ足運動やマラソン大会が終わって、なわとびを始める時期。冬休みに向けて、課題用になわとびカードを渡している学校も多いでしょう。
ここから年末にかけて、このブログもアクセスが増えるので、そういう話を書いていくのがいいとは思うんですが……、そこまでがっつりと狙(ねら)いを定めるほど、話を選んでいないのが現実です。
これは普段からそうで、技術的な話にしても、なわとびの世界の話にしても、プラスもマイナスも書きつつ、それ以上踏みこむことがありません。書いても投げっぱなしというか、意見のようにどこかへ届けるような形をしていないことが大半です。
「すべての物事を同じ比重でとらえているから」
以前、新聞の広告に載っていた発達障害関係の本に、こんな見出しがあった覚えがあります。優先順位をつけられないタイプの原因だそうなんですけど、この一文、僕は他人に向ける態度のことかと思ったんですよね。
テンションが変わらないとか、言っていいことと悪いことの区別がないとか。自分のこだわり以外にアップダウンの差がない様子が浮かんだのです。こだわりがある時点で「すべて同じ比重」なのと矛盾してる気もしますが、「ああ、これって自分のブログの雰囲気みたいな話だな」と思って、妙に納得したんですよね。
なわとびの世界で有名な人に会えたときや、他の学校に招かれて少ないミスでパフォーマンスできたときに、いやに自分が冷静だったのを思いだします。それこそいろんな感情がまぜこぜになって、同じ比重になって、興奮を引き当てられなかったのかもしれませんが、現実や事実に直面すると、そのまま受け止めてすとんとフラットな地面に置かれてしまうイメージでした。
ブログも、引っかかるメカニズムの説明とか、競技に感じる抵抗感とか、公園で跳ぶ自分の不自然さとか、それを書いて何が届くのよ、といった話も淡々と書いています。届けたいと言うより、素直に置いておきたい気持ちで書いた文章ですね。自分にとっては、そこまでいいも悪いもなく、読んでくれる人に反応を預けているような部分が大きいんだなと思いました。
なわとびの技術になると、見えかたも変わってきますね。
タイトルにもした「フラット」をキーワードにすると、演技だと変わりばえがしないとおもしろくありません。逆に、淡々とすごい技をやっていれば、じわじわとすごさが伝わる演出になるのかもしれません。
回しかただと、多くの技で両手(グリップ)はフラットでそろっていたほうが回しやすいです。縄の形が崩れるのは、たいてい、両手の位置関係が崩れるからです。技や演出に変化をつけるにしても、体のほうは安定したラインが望ましいのでしょう。
遠目に見てみると、相手が他人なら変化、相手が自分(体)なら安定がいいとも言えます。自分を保ちつつ、相手を見て様子を変える。踏みこむ地面は、平らなほうが自在に動けますからね。
音楽記号になぞらえて、次回は「シャープ」で書いてみます。やっぱりシーズンに合わせてないようなタイトルですが、中身は技術話です。